あえて反応しない思いやりがあってもいいと思う

あるSNSで交流させていただいている方が、公開する範囲を限定してご自身の生い立ちを綴られていたのを拝読した。

このはてなブログはコメント欄を閉じることが出来るけれど、そのSNSはそれが出来ない。

なので冒頭には「いいねもコメントも要りません。返信もしません。ただ辛くて吐き出したくなったので書かせてください」と断りがあった。

その内容は、壮絶なんて言葉で表すには足りないくらい、読んでいるだけで胸がつぶれそうで途中で何度も呼吸を整えなければならないほど辛いものだった。

仮にコメントは要りませんと言われなかったとしても、私にはかける言葉も見つからずコメント出来なかったと思う。

 

そして、その記事にはイイネこそついていなかったものの、本人が要らないと言ったにもかかわらず何件ものコメントが寄せられていた。

コメントはすべて善意からのものばかりだったけれど、中には善意で言っているのはわかるけど自分がこんなことを言われたら複雑な気持ちになるだろうなと思うものもあったし、なぜ本人が要らないと言っているのにコメントするのだろう?と疑問に思った。

 

これはあくまで私の想像でしかないけれど、冒頭にそういう断りを入れるということは、この内容に関して何の反応もして欲しくなかったのではないか。

本人が要らないと言っている以上、イイネもコメントもしないのが拝読した者としての思いやりだと思ったのだけれど、どうやら違う価値観もあるらしいことに驚いた。

 

コメントした人たちからすれば、私のような対応は「こんなに辛い半生を生き抜いてきた人に、何も言葉をかけてあげないなんて白状だ、思いやりがない」と思うのかもしれない。

それも一つの価値観だし疑問に思いこそすれ否定するつもりはないけれど、私はこれからも本人が要らないという以上は何もしないでいようと思うし、あえて反応しないという思いやりもあってもいいのではないかと考えている。